今月の到知の課題だった、「力闘向上」
私にとっての「力闘向上」は、自分の座右の銘でもある、
「火を絶やすな」と同じ意味のように感じました。
「火を絶やすな」とはボーイスカウト用語で、
おき火でも、種火でも、炭火でも、どんな小さな火でもそこから大きな火にする事ができます。
壁にぶつかった時、気持ちが萎えかけた時に、そこで諦めずもう少し続けてみる事が大事です。
成功の秘訣は「諦めない事」です。小さくても良いから情熱を持ち続けること。
その小さな火種を絶やさない事。
と言うように社内には
「火をたやすな」について話しています。
松谷さんの締めくくりの言葉の冒頭、
「こんな私を見捨てずに根気良く、熱い思いで・・・」
という文章はまさに情熱を持ち続ける継続の大切さ、だと思います。
小路さんと川辺さんの対談の中に沢山「執念」「続ける」等の言葉がでてきます。
「成果=能力×努力」の数式の説明のあとに
「大事な事は、自分の出来る最高の努力をどれだけ続けられるかだ。」
と言われているし、
そのすぐ後の羽生さんの話の中でも、「やりぬく事が努力」
とそもそも努力とはやりぬく事といっています。
カリフォルニアの新撰組の重田さんの話の中でも
小学生時代、365日、子牛の世話を続けたところから始まり、
「出来ないということは知識や能力の不足じゃない。執念の欠如である。」
「絶対にやるという気持ちがどれだけ強いか。」
と、執念と継続で締めています。
そのそれぞれの道を、執念を持って歩き続ける事が、
力闘向上であろうと思い
松下幸之助の(道)を思い出しました。
下記です。
自分には自分に与えられた道がある。
天与の尊い道がある。
どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。
自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。
広い時もある。せまい時もある。
のぼりもあればくだりもある。
坦々(たんたん)とした時もあれば、
かきわけかきわけ汗する時もある。
この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまる時もあろう。
なぐさめを求めたくなる時もあろう。
しかし、所詮はこの道しかないのではないか。
あきらめろと言うのではない。
いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、
ともかくもこの道を休まず歩むことである。
自分だけしか歩めない大事な道ではないか。
自分だけに与えられているかけがえのないこの道ではないか。
他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、
道はすこしもひらけない。
道をひらくためには。まず歩まねばならぬ。
心を定め、懸命に歩まねばならぬ。
それがたとえ遠い道のように思えても、
休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。
深い喜びも生まれてくる。
松下幸之助